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歴史

再建年代 慶安2年(1649年)10月15日
開山上人 真蓮社城譽上人洞阿
再興者 女二宮昭子内親王(父は後水尾天皇、母は二代将軍 徳川秀忠の娘である東福門院和子)

お寺の由来

いつの頃よりか、遊行僧が久世の里を訪れ弥陀の慈悲を教え、又久世の人々も浄く信心し て、現在の地に祠を建て、朝な夕な念仏の声を絶えず聞こえていました。

時代は下って、三代将軍家光の時、寛永十三年(一六三六年)久世の里が昭子内親王とい う姫宮の領地となりました。姫宮の父親は古典文芸復興で知られる寛永宮廷文化のリーダ ー御水尾天皇、母親は二代将軍徳川秀忠の娘である東福門院源和子であります。天皇と将 軍の娘との間に生まれた二番目の姫宮であります。

ある夜、姫宮は久世の里に光り輝く弥陀来迎の夢を見、部下に命じて、久世の里を調べ させました。その結果、姫宮はその地に寺院がないことを不思議に思われ、早速、寺院の 復興にとりかかりました。寺院建立が本格的になり時、慶安二年(一六四九年)開山上人 城誉上人が入山しました。

浄土宗のおしえ

宗祖・法然上人は「どこにいても、なにをしていても南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱えよ」と教えられています。
本尊である阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、その仏の御名(みな)を唱え、人格を高め、社会のためにつくし、今生きるよろこびを感じながら毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う、そんな信仰です。

阿弥陀如来

阿弥陀如来浄土宗のお仏壇の正面に安置されている仏様。
阿弥陀如来(あみだにょらい)は、貪りの心、瞋(いか)りの心、愚かな心、煩悩を持っている物=どんな人でも「心から極楽に往生したい」と願い、「南無阿弥陀仏」とお念仏を口にしたならば、必ず極楽浄土に救いとって下さいます。
また、生きている現在においても、お念仏のおかげで、常に阿弥陀如来の護念(見守り)が得られます。

【来迎寺の阿弥陀如来は、その佇まいからも確かに歴史が感じられる、平安の昔、十世紀ごろに作られた木造の仏様です】

法然上人

法然上人浄土宗のお仏壇では、向かって左側に安置されています。
法然上人(ほうねんしょうにん、1133年4月7日-1212年1月25日80歳)は、戦乱と天災に翻弄された、平安末期~鎌倉時代まで80年間の激動の生涯で「賢者も愚者も、善人も悪人も、富者も貧者も、修行を積んだ者も 積まなかった者も、つまりどんな人でも阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすれば阿弥陀様に救われる」という教えを説かれました。

善導大師

善導大師浄土宗のお仏壇では、向かって右側に安置されています。
善導大師(ぜんどうだいし、613-681年))は、浄土宗の宗祖・法然上人が、43歳で浄土宗をお開きになるきっかけとなるお言葉(一心専念の文)を『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物に著した、中国唐代の浄土教大成者。

【一心専念の文】
ただ一筋に、他のもろもろの行を差し置いて、阿弥陀仏の名号を念じて、何をしている時でも、また、その時間の長短は問わず、念仏に念仏を重ねることを、正しい往生の業と名付ける。
念仏こそが、かの阿弥陀仏が一切の衆生が往生するために立てた誓願に相応する行であるからだ。